トラウマ再演女子について

パパ活女子の心の闇について、「過食嘔吐」「親からの虐待」と書いてきたが、三つめは「トラウマの再演」である。
最初は「解離性障害」という表題を考えていたのだが、パパ活という行動に関係するという観点からは「トラウマの再演」のほうが解りやすい。
それにしてもあまり馴染みの無い話なので、私がこれから書く文章を読んでも「何だそれ?」と思う人が多いかもしれない。
「トラウマの再演」というのは、過去に体験した怖ろしいこと、嫌だったことを、敢えてその状況に再び踏み入ることで、克服しようとする無意識の心の動きである。
性被害にあった女性が、そのことをトラウマとして抱えながらも、再び似た状況を求めてしまう。今度こそは上手く立ち振る舞って乗り越えるために。

一方で解離性障害というのは、たとえば以下のような感じで始まるらしい。
「行為中に五感を働かせていると、辛すぎて気が狂いそうになる。だから最中はなるべく何も感じないように自分の意識を遠ざけた。そういうことを繰り返すうちに、自分の心から自分を追い出すことが癖になり、乖離(かいり)状態になるようになった」
(Yahooニュース「“30歳年下”教え子の女子高生に3年間『性的行為』強要」から)
必ずしも性被害だけではなく、親からの虐待に対する心的防衛として始まることもあるようだ。
「トラウマの再演」と「解離性障害」の関係だが、私の理解するところでは、再演を求める無意識と、その怖ろしい状況に足を踏み入れることを拒絶する気持ちとの間で、葛藤が生じるのだと思う。そのため解離が起こり、元の人格とはまったく別の人格によって再演行動がなされる。
もちろんトラウマの再演を行う女性全てが解離性障害を伴うわけではないだろうし、性的外傷を負った女性で再演行動をする人もごく一部だろう。だからトラウマの再演=解離性障害では無い。しかし関係はある。

私自身がこのタイプのパパ活女子にはまだ2人しか遭遇していない。
だから実体験不足は否めない。
その交際内容については以前このコラムに書いたが、女性は再演中もしくは解離して別人格になっていたと考えられるので、主人格(元人格)がどんな葛藤を抱いていたのかは、私には知る余地が無かった。
あくまで、パパ活パパの視点から彼女たちがどう映っていたかの記録である。ちなみに2人とも途中で音信不通になってしまった。なので私が取った行動の是非についての答え合わせも出来ていない。
今回この記事を書くに当たって、改めてネットで「トラウマの再演」や「解離性障害」を調べてみた。そしてある女性のブログを見つけた。
私が交際していた女性たちと似ている。
ブログに記されている連絡欄を通じて、転記の許可をお願いしてみたのだが返信は無い。自殺をほのめかしたあと2017年の5月を最後に記事が途絶えているので、ひょっとしたらブログ主はもうこの世に居ないかもしれない。
このコラムの目的は、ブログ主を誹謗中傷するものでは無く、解離性障害がどんなものかを、そのような女性と遭遇するかもしれないパパ活パパたちに知って欲しいということなので、転記しても許してくれそうな気がする。
もしも今後彼女から連絡が来て削除して欲しいと言われたら、そのときは管理者の前澤さんにお願いするつもりだ。
以下は彼女のある日のブログ記事である。
セックス依存症ってなった人にしかわからないよね。
分かりやすい依存症と思ってたから、話せそうな人に言った事があるけど、
「俺も(とか)私も、そうかも」
って答えが多い。
正直気持ち良い事だし、依存って言う言い方があまりにも普通に使われすぎていて、身近な言葉になっているから「依存症」しての認識が甘くなっているのかもしれない。
だから話した事自体を後悔したり、友人に対して怒ってもしょうがないんだけど、やっぱりすごく嫌な気分になる。
こんなに苦しいのにって。
あなたは楽しんでたってこの前言ってたでしょって。
私の場合はセックス後になぜだかいつも後悔して、その後悔を忘れる為にまたしていた。
始まってしまった理由は定かではないし、セックスする直前って覚えていない。
セックス後に後悔して、居ても立っても居られなかったのか、仕事を休んでセックスをするなんて事はしょっちゅうだった。
そんな事、普段の真面目な私が許せるはずもなく、体調もどんどん悪化していった。
解離して自殺未遂したことも何度もあったようだ。
そして、何が怖いかって、再発。
再発の恐怖ってなったことがある人にしかわからないと思う。
正直、たかがセックス、されどセックス。
でも一回でも一夜でもしてしまったら、また過去に戻ってしまうという恐怖から、誰とも会わないようにしたりと気を使っていた。
知り合いがいなければ、セックスは相手がいなければ絶対に出来ないから、人を避けていた。
詳しくはあまり書きたくないけれど、体調が悪くなる出来事があって、恐らくそれを回避したいが為に、してしまった。
する直前は解離しているから、覚えていないけれど、気付くとしている。
もうあの頃には戻りたくない。
たかがセックスのはずなのに、どうしてこんな怖いのか、自分でもバカだと思う。
でもこの恐怖心をずっと抱えるのならば殺された方がマシだといつも思う。
そしてまた約束してしまう私がいた。
再発が怖いと思えるのも、解離しているからかな。
セックスしている私は自分ではないけれど、途中で今の私になる事がある。
その時の恐怖ったらない。
この人は誰だろう。ここはどこだろう。
出会い系は危ないというけれど、もう殺された方がマシなんだ。
だから、私にとっては何も怖くない。
解離して勝手にセックスをする私が一番怖いんだ。
https://ameblo.jp/serpens-did/entry-12156696296.html
この女性の場合は「トラウマの再演」ではなく、あくまで「解離性障害」であって、別人格がセックスを求めてしまうということのようだ。
私が出会った2人の女性は、過去に性被害というトラウマが明確にあってその再演行動と考えられた。
それならばそのトラウマの記憶を楽しいSEXで上書きすれば良いのではないかと、私は素人なりに考えたのだが。彼女たちの苦しみはひょっとしたらそこではなくて、
「する直前は解離しているから、覚えていないけれど、気付くとしている」
「解離して勝手にセックスをする私が一番怖いんだ」
にあるような「解離」そのものにあったのかもしれない。
だとしたら、いくら別人格と楽しいセックスを心掛けたところで、まったくもって意味をなさない。
私は大きな勘違いをしていたということになる。
彼女のブログ記事の冒頭に出てくる「セックス依存症」について記そう。
「セックス依存症」というのは、精神科的には存在しない病名なのだそうだ。精神科の病名分類であるICDやDSMには含まれていない。
なぜかと言うと、食欲・性欲・睡眠欲というのは人間の基本的欲求であり、必要不可欠なものなので「依存」という言葉には馴染まないからである。
「ギャンブル依存」「アルコール依存」などは、ギャンブルやアルコールが、生物に不可欠な欲求では本来無いものなので、そういう場合には「依存」という言葉が当てはまる。
だから「セックス依存症」というのは医学用語のようではあるが実は俗語であり、単に「セックスに没頭する傾向」のことを指していると考えてよい。
衝動の制御が出来なくなると「強迫的性行動症」という病名が付くが、その場合も「依存」ではない。
パパ活で(というよりもパパ活以外の実生活も含めて)私が遭遇した「セックス依存症」には、二つの場合がある。
一つは単に性欲が強い女性
であり、
もう一つが「トラウマの再演」を求めてさまよっている女性
である。
性欲が強い女性は、40代50代に多いと感じるが、もちろん20代にもいる。
一方でトラウマの再演の女性は20代しか私は知らない。
気になるのは、心理の専門家が書いている以下のような文章だ。
いわゆる「セックス依存症」には、性暴力・性犯罪の被害者が「こんな目に遭った自分には価値がない」「自分は汚い存在だ」と自暴自棄になり、まるで自傷行為のように不特定多数との性行為に及んでしまうパターンもあります
とか、
過去に性的虐待を受けていた方が、「再演」としてセックス依存となることがあります。傷をいやすためや、価値のない自分を罰するためにセックスを行っていると考えられます。強い快楽で心の傷の痛みを一時的に覆い隠すためや、自身の体を軽く扱ったり汚したりすることによって自分を罰するという自傷行為の一種としてセックスを繰り返している場合もあります。
といった内容である。
私はこのような「自暴自棄」になってセックスをしている女性に出会ったことが無い。本当にこんな女性は存在するのだろうか?
心理の専門家は治療する側にいる。その視点だと、女性の元人格としか接していないだろう。別人格としか接していない私とは真逆である。
自己嫌悪に苦しむ姿しか見ていないので、こういった考察になってしまうのではないだろうか?
こちら側から見ると、彼女たちは十分に気持ち良さそうだし、楽しんでいるとしか思えない。
私が何を主張したいかというと、彼女たちが苦しんでいるのは、「セックスに没頭してしまう傾向」そのものではなく、主人格とは別人格が発動してしまう「解離」の現象にあるのではないかということだ。
「セックス依存症」というのはインパクトが強すぎて、自傷行為や自暴自棄に見えるのかもしれないが、性欲というのは生物本来の持つ本能なので、そこが解放されるというところをあまりネガティブに捉えないほうが良いのではないか?
批判では無い。別人格の彼女たちとセックスした経験者としての素朴な感想である。
とにかく、私が経験した二人の女性を観察した限り、彼女たちは「自分を罰して」セックスなどしていなかった。
むしろ楽しんでいた。あるいは楽しもうと必死であった。
自分を罰するのではなくて「セックスとは本来気持ち良いものであるはずだ」という内面からの生理的な直観を確認しようとしている、そういう作業のように見えた。
しかし、過去のトラウマが「これは怖ろしいものだ」と囁いてくる。そのストレスが強大であるが故に、本人の心が解離して別人格が形成されてしまう、そういうメカニズムのように私には感じられた。
心理の専門家としては、再演行動をきっかけに解離性障害が進んでしまうかもしれないわけだから「トラウマの再演は危険であり避けたほうが良い」ということになるのだろう。
そこは理解できる。
しかし、別人格の行動を「自傷行為」とか「自暴自棄」と否定することは、逆に主人格との分断を広げてしまうことにならないか?
治療のゴールが、別人格と主人格との「統合」であるならば、別人格の行動を否定的な言葉で表現しないほうが良いような気がする。
あくまで素人考えである。誰か専門家がここを覗いて、コメントしてくれると有難いのだが。
さて、私たちパパ活パパは、今後このような解離して別人格にあるセックス依存症の女性と出会ったとき、どう行動すればよいのだろうか?
そもそも論として、「過食嘔吐女子」にしろ「親から虐待を受けていた女子」にしろ「トラウマの再演女子」にしろ、そんな病んだ子たちは御免だ、そうと知っていればオファーなんかするもんか、とう人は多いだろう。
私がなぜこういった子たちに食指を伸ばすかというと、自己分析するに、共依存的な蜜の味を求めているのだと思う。
お金で体の関係をお願いしている身である。彼女たちのような若く綺麗な女性との普通の恋愛には手が届かない。しかしその一方で体の関係だけでは寂しい。
そういう私のような男性にとって、少し病んでいて、助けになってあげられそうだと感じさせてくれる娘というのは、麻薬的ですらある。
そうは言っても、私が手助けをしているつもりでも、結果として女性の解離症状が悪化してしまったら、それは困る。
悪人にはなりたくない。
なので、こうして自問自答しながら、どうすべきなのか悩んでいるわけだ。
そして現時点での私の結論、すなわち今後の方針はこうである。
1)セックス依存症の若い女性で、それが「トラウマの再演」や「解離」による別人格のものだと知ったとしても、交際は普通に続ける。
確かに別人格の相手をするということは、解離に関わってしまうことだから、彼女の症状が重くなってしまった場合に、自責の念を感じるかもしれない。最悪彼女は、引用したブログ主がほのめかしたように、自殺してしまうことだって有りうる。
しかし冷静に考えたとき、他に良い例えを思いつかなくて恐縮だが、ここに一本の木が生えていたとする。誰かがその木の枝にロープをかけて首を吊ってしまったら、木は責任を感じるべきだろうか?
たぶんパパ活パパとトラウマ再演女子の関係は、その程度のものだと思う。

2)「トラウマの再演」や「解離」についての理解者になってあげる。
これは重要だ。理解して話し相手になってくれる人がいないと孤独で絶望に陥りやすい。
とにかく話を聞き、決して否定せず、相手を理解しようと努める。ネットで調べた生半可な知識をひけらかすのではなく、相手自信が生きた教科書なのだという気持ちで謙虚に接するのが良いだろう。これは出来そうだ。
3)セックス依存症というのは、決して悪いことではなく、単に生物としての本能なのだということを諭す。
これは私なりの独自の論になる。主人格が別人格を拒絶せずに受け入れれば「統合」できる筈だ。だから別人格を貶めるのではなく、自然なもの、存在して良いものなのだということを繰り返し言い聞かせる。
「トラウマの記憶を楽しいセックスで上書きすれば良いのではないか」という前の方針とは似て異なる。「セックスは人の生き物としての本能であり決して悪いことでも怖ろしいことでも無い」ということを、出来ることなら主人格の心まで伝えよう、響かせようということだ。

こう書きながらも「たかがパパ活パパのくせに何を偉そうな」と批判的な自分もいる。「木とロープ」の例えで記したように、私は責任を取るつもりはない。それなのに他人の人生に勝手な考えで干渉し過ぎではないか?
あくまで心構えだ。そこはわきまえなければならない。
私がこのコラムを書く目的の一つは、言語化によって自分の中のもやもやしたものを整理することにある。
決して自分が正しいとなど思ってはいない。間違っているかもしれない。しかし自分で考えて判断し切り開いていく、そうやってこれまでの人生も何とかやってきた。
若い頃からの座右の銘は「人の言う事はよく聞け。しかし自分のしたいようにしろ」である。

以上、パパ活女子の心の闇である
「過食嘔吐」
「親からの虐待」
「トラウマの再演」
についてまとめてみた。
私が考えてここに記したことが、どなたかの参考になれば幸甚です。








