ユニバーサル倶楽部のA to Z H 未練タラタラで胸キュンの場合の対処方法 その2

①積読は悪くないらしいよ
「ご趣味は?」と尋ねられたら見栄っ張りの男は「読書」と即答したあと、すぐに思い直して「躊躇なく本を買うこと」と答え直す。
実際ここ10年位、男の年間書籍費が6桁内に納まった年はない。躊躇していたらこれ位の金額にはならない。とは言え、研究者やプロの物書きはもう一桁つまり7桁に達する人たちだからそういう人達から見れば男の本代はささやかなものだろう。
ところで躊躇なく買うのと躊躇なく読むのとは雲泥の差がある。男が購入した本を実際読むのはその数パーセントにも満たないからどのような点からも読書が趣味だとは言い難い。
電子書籍の割合が年々増えてはいるが、自宅の書斎は飽和状態でソロソロ何なとかしなければと思いつつ、数年が経過していた。
愛想を尽かされた愛しのアイコは読書家で交際中は本の話題がよく出た。
買うのは得意だけど、読むのは得意ではない男はアイコから「最近のおすすめの本は?」と聞かれても答えに窮することが多かった。繰り返すが男は見栄っ張りだから、文字通り見栄を張るためにも年の初め年間1,000冊計画をぶち上げたのだった(ぶち上げるといっても自分の心の中であるけれど)。
要するに一日に3冊読むということで、これを書いている9月の段階で目標は達成しつつある。いや、「読む」というのは正確な表現じゃないな、「めくる」が正しい。めくるだけならそれほどハードルは高くない、と思っていたがそうでもなかった。
男が今年めくった本の中でダントツに面白かったのが今のところ「パレオマニア」(池澤夏樹 著 集英社文庫)だ。この本はいわば小説仕立ての紀行文で、読了後「こういうやり方があったか、やられた!」と旅好きの男は思ったものだ。
小説?の概略を書けばパレオマニア(古いものや過去の時代に偏執するオタク)である主人公がロンドンに長期滞在した上で英博物館に日参し、その後展示品の産出場所へ旅する物語である。主人公が旅した都市・国は13で、どれも魅力的な旅であった。
男は4度大英博物館を訪れたことがあるが、いずれもあまり楽しめなかった。メイン展示品であるエジプト、ギリシャ・ローマはいつも混雑しているし、基本的な知識はあるつもりだったが、時に巨大な遺跡や遺品類を見せられても「何が魅力かよくわからん」というのが最初にくる感想だったからだ。宗教的な理由も大きいのだがろうがヨーロッパ人のエジプト・ギリシャ文明に対する執着はアジア人である男には理解し難いところがあった。
一方でロンドンにはナショナルギャラリーを筆頭に魅惑的な美術館が多い。ナショナルギャラリーならフェルメールを独占できる(周囲に誰もいない。日本ではあり得ないだろう。先般日本で開催されたフェルメール展はその混雑ぶりが醜かったと妻は言っていた)。
フェルメールの絵は周囲を気にすることなく、その前にひたすら佇み、その息吹に耳をかたむけるのが正しい鑑賞方法だと男は考えている。美術愛好家の男にとってはこのような時間は代え難いもので、男の足を益々大英博物館から遠ざけたのだった。
それに対して「パレオマニア」の主人公は前述したように大英博物館近くのホテルに長期滞在して博物館に日参する。そのスタイルは周囲の喧騒を意識の中から追い払い展示品に集中するというものだ。
そして機が熟したところで元々あった場所へと旅をする。
男が先に「こういうやり方があったか」と叫んだ?意味はこのスタイルの旅を指す。
妄想癖の強い男だから、ぜひこんな旅をしたいと思った。
と同時にパレオマニアで取り上げられた場所を訪れるのは二番煎じだからできれば別の場所にしたかった。
という話をアイコにしたら「スリランカ」と即答した。
えっスリランカ?と聞き直したことを男は覚えている。
今まで一度も行ったことない場所だし、行こうと計画したこともなかった。
確かにかつて英国はスリランカの宗主国だったからある時期まではやりたい放題だっただろう。アイコのおかげで俄然興味が出た。
早速調べてみると大英博物館にはその名を冠した部屋はないれど、南アジアの展示室などに魅力的な仏像を中心として統治時代スリランカから収奪した遺品を複数所蔵していることが分かった。
画像で見る限り、美しい仏像群で状態もよく男の好奇心を強く刺激した。必ずしも全ての所蔵品が常設展示されているわけではないというがそれはそれでよしとしよう。
そういえばと思って自宅の書斎を覗くと買った記憶は全くないがスリランカ仏教の専門書があり(読みもしないのにこんなの買っていたらりゃあ7桁になりますな)、パラパラとめくってみた。
知らないことばかりで、びっくりすると同時に1万円近くする専門書を買った自分を男は褒めたくなった。
スリランカはインドとの距離的な近さもあって、直接古代仏教が入り、インドで仏教が衰えた後も、その伝統を守った国だという。
南アジアに仏教が広まったのもスリランカを起点としていた。
何とあの法顕(どの法顕だ?)もインドの後、スリランカを訪れ2年間滞在し、仏典収集に奔走したらしい。
法顕はその後苦労して中国に帰国し、持ち帰ったサンスクリット原典を漢訳したのだった。
と同時に14年間にも及ぶ旅の記録を「法顕伝」にまとめた。
そういえばと思って男は書棚を探ると思った通り真新しく開いた形跡のない「法顕伝」(東洋文庫)を発見する。我ながらいい本買ってるわ、読んでないだけで、と再び自画自賛しながらパラパラと男はページをめくる。
わかったことは当時の法顕の足跡を辿る旅が現代でも可能であることだ。
是非、アイコとこの旅に行きたいと思い、興奮して自分の妄想計画をアイコに話したことを男は苦々しく思い出す。
あらゆる可能性を考慮してもこの旅をアイコと共に実現することはあり得ない。身から出たサビだとはいえ、アイコに愛想を尽かされたのはかえすがえすも痛恨の極みである。
実をいうと興奮した男はまだ愛想を尽かされる前に今年11月なら長い旅程を組めそうだと思い、アイコの都合も聞かず、自分のフライトチケットだけは既に押さえている。
我ながらおっちょこちょいにも程がある。ただ自分のおっちょこちょいを否定することは男の人生を否定することにもなるからできない。それまでにアイコの様なノリが良くて魅惑的な女子を見つけて旅に行きたいものだと男はつぶやくのだった。

②PATOLOのモザイク美女
身から出た錆ではあったが、アイコに愛想を尽かされたので一旦収まっていた男の彷徨が再び始まる。
男は特に高望みをしているわけではない。朗らかな美人で、食べ物に好き嫌いがなく、できれば少食ではなく、お酒も楽しめる女性がいい。男自身は細やかな望みだと思っていたが、この条件全てを満たすのは殊の外ハードルが高い。そこであれこれとオトウサマ活動サイトを覗くことになる。
数あるサイトの一つ、PATOLOはオトウサマサイトの寄せ集め?だから彷徨するには効率がいい。ただ画像の加工が醜くてしばしば別人28号が現れるという噂?だったので比較的加工の少ないと思われる宇宙倶楽部に所属する女子の中から探した。
一般には宇宙倶楽部でオファーするよりオファー料が安いからPATOLOでオファーするのはケチだからではなく、人情だと男は思う。男は他人と比べて、特別人情に厚いわけではなかったが。
兎にも角にも早速何人かにメッセージを送ると一番美しいけれど悪臭も漂いそうなアラサーから返信がきた。日程調整すると「ランチタイムなら」ということだったので、早速オファーする。
彼女のプロフィー写真からは悪臭が漂い、目元と口元にイジワルラインをはっきりと確認できたが、男は躊躇しなかった。と同時に食べることが大好きで、お酒も楽しみたいという女子のプロフィールは男に期待を抱かせた。
彼女は悪名高き港区女子とのことで「東中野に素晴らしいフレンチがあるけど」と提案しても一笑に付されるだけだろう。そこで比較的アクセスが良いと思われる、そして男が得意とする?品川駅隣接のホテルロビーを男は待ち合わせ場所に指定したのだった。
悪臭港区女子ことマリエは時間丁度にやってきた。正確にいえば1分ちょいの遅れ。1秒たりとも時間を無駄にしたくない傾向のある港区女子としては上出来の部類だ。サイトの写真で見た通りの華やかな美人のはずだ。
「はずだ」というのは男の目の前に現れた女の顔にはモザイクが掛かっていてその顔立ちを確認だけできないので推測するしかないからだ。しかも顔だけでなく、服装にもモザイクが掛かっている。普段なら凄く驚くところだけど、その時の男には全く不思議じゃなかった。予想通りとまではいかないけれど、これまでの経験からこれ位のことはあるだろうと男は考えていた。
むしろ男を驚かせたのはマリエからは全く悪臭がしないことだった。でも油断はできない。男の経験上地獄へと通じる道の両脇にはしばしば甘美な花が咲き誇っているからだ。
マリエはモザイクが掛かったまま、男に促されてソファーに座った。
まずお互い簡単な自己紹介をした。マリエの鼻に掛かった声が男の股間を刺激し、ドーピング効果も相まってスーツの股間が控えめに隆起する。マリエはそれを察知したかのように手を伸ばし、「もうこんなになってるのね、嬉しい」と言った。モザイクが掛かっているから全体の表情は窺えないが、口の部分だけ一瞬モザイクが消え、マリエが舌なめずりする口元は確認できた。
導線を考慮して、レストランはホテルロビー階にある鉄板焼き「風音」を男は予約しようとしたが何と閉店。風音は少し奥まった場所に位置し、記憶では看板も出ていない。限られた小さなスペースにカウンターとテーブル席があるだけだから、訳ありの逢瀬、特にモザイクの掛かった女子をエスコートするにはピッタリのレストランではあったのだが。
仕方がないので男は第二候補である同じフロアーの中華レストランを予約していた。そしてリクエスト通り、眺めのよい窓際の席に案内された。
平日のランチタイムだったが、他の席もほぼ満席だ。その多くが、下腹部に脂肪をたっぷり蓄えた有閑マダムと思しき女子たちである。彼女たちは脂肪の割合に反比例して全く旦那その他から相手されていないので、魅惑的な美女を連れた初老の男に対してはとりわけ冷かな視線を送る傾向がある。
どうも彼女たちにはモザイクなしのお顔が見えるようで、男の後に続くマリエに対して一際厳しい視線を送っている。男はこういう視線が3度のsexよりも大好物だ。え、え、確かに金使ってますばい、そしてこのモザイク女も栄一が大好きとよ のテレパシーを彼女たちに浴びせる。するとどいつもこいつも男から目逸らすんが笑えるったいと男は心の中で呟く。
予約したのはミドルクラスのランチコースで事前のやり取りでお昼だったけれど、軽くお酒も楽しむことにしていた。ウエートレスがやってきて予約したコースの説明をした後、ドリンクメニューを男とマリエに渡しながらオーダーを待っていた。
そのドリンクメニューはランチ用でそれを覗き込むマリエの顔が冴えない。悪い予感しかしなかったが、初対面であるし、金使ってマッセのテレパシーを送った手前、夜のドリンクメニューをお願いした。ここでようやくマリエに笑顔が拡がり、男があまり耳にしたくないWordをモザイクが掛かったまま呟くのだった。
「私、赤ならブルゴーニューが一番好き。ボトルで頼んでいいですか?」
こういう場合の正解を男は心から知りたいと思う。少なくともモザイクマリエには「NO」という返事は想定されていないだろう。さらに言えば宇宙倶楽部のオトウサマには高級ワインを躊躇なく抜く御仁もいらっしゃる。
もちろん男にはそんな趣味はないからマリエにテレパシーを送るが有閑マダムの時と違って全く効果がなかった。もしかしたらマリエにかかっているモザイクが男のテレパシーをシャットアウトしているのかもしれない。そして男の願いも虚しく謎の15%サービス料が加算されると4栄一を超えるブルゴーニュをマリエは涼しい顔いや、モザイクでオーダーされたのだった。
こういう時こそ地団駄踏んでも構わないと男は思う。
マリエの涼しいモザイクとは対照的に男は紅潮した頬を膨らませてテースティングをした。ソムリエにokを出した後、グラスを上げ、乾杯。やおら赤い涙でできた液体を一気に出血しかかった胃へと流し込んだ。驚いたことにまだまだ若いと思われた23年のブルゴーニューは若いなりに熟成感もあり、美味しかった。当たり年であることが再確認できたのは男にとってささやかな収穫だ。
マリエは食欲旺盛で、かつよく飲んだ(北京ダックをお代わりされ、それに合わせるように二本目のボトルもオーダー)。モザイク越しに「美味しい」を連発するから追加のオーダーにもそれほど男の血圧は上がらずに済んだ。
最初こそモザイク女と話すことに慣れていない男は話題を探すのにく苦労したが、マリエの反応が素晴らしいのですぐに打ち解けた。モザイクが掛かっているのは一寸残念だが、マリエは食欲も旺盛だし、朗らかな性格でよく笑った。男の評価は100点満点でこの時点ではアイコロストは解決されそうだった。
ここのホテル中華は絶品というわけではないが、ホテルレストランとしてその味は及第点以上だと思うし、付かず離れずのサービスも悪くない。何よりもお部屋までの道のりがスムーズなのは一番の美点である。というわけでランチとワインを楽しんだ後は、マリエを楽しむ番だ。希望の金額(両手ね)を承知してもらってマリエを部屋にエスコートした。

③ラ・ペルラは経営再建中
特にコロナ前はアクセスの良さでここをしばしば利用した。しかしここ数年は部屋代が5桁では収まらなくなって足が遠のいていた。部屋のステータスにも拠るけれど特別広いわけでも豪華なわけでもない。
夜なら品川の夜景を見ながらの立ちバックが売りの一つだが、昼はカーテン全開の立ちバックは流石の男も躊躇してしまう。
残念ながら部屋に移動してもマリエのモザイクは消えない。それでも男が辛抱たまらん状態になったのは、部屋に入るや否やマリエが男の前に膝まつきチャックを下ろしてささやかな如意棒を咥え始めたからだ。
とても素人とは思えない(おそらくあらゆる意味で素人ではないだろう)。なぜか口周辺だけはモザイクが消え、本来反応の鈍い如意棒を起立させる様子がはっきりと見える。
めちゃくちゃ技量が高く、「マリエ、硬いチンコが大好きなの。美味しい」と言いながら咥え続ける。危うく果てそうだったので、男はマリエの動きを止め、シャワーを浴びるため浴室に飛び込んだ。
マリエも続いたが、不思議なことに服を脱ぐと身体のモザイクだけは消え、Fカップのオッパイが顕になった。乳輪が大きめで男好みのオッパイだ。男は「先にベッドで待ってるね。下着フェチだから身につけてバスローブを羽織ってきてね」とリクエストした。
男がベッドで待っているとリクエスト通りバスローブ姿のマリエが近づいてくる。バスローブを着ても首から下はモザイクが消えている。ゆっくりバスローブを脱ぐと上下黒いラ・ペルラ。レースの上品な高級下着が由美かおるバリの身体によく似合っている。
本当は「ラ・ペルラだね」と言いたかったが、マニアックすぎると思ってやめておいた。これがアイコに対してなら「ラ・ペルラは一旦破綻して経営者が代わり、再建中なんだよ」と付け加えるところだが。いずれにせボローニャにあった本店の映像が男の脳裏に広がった。
マリエは徐に自らブラジャーを外し、乳輪を男の口に近づける。大袈裟な吐息が漏れ、セックスの技量には全く自信のない男を喜ばせた。
その後の展開については特筆することはなかったが、少なくとも男の満足は大きかった。これでアイコへの未練は断ち切れそうだ。
とここまでの展開は男にとって完璧だったが、その後思いがけないことが起こった。マリエから長文のLINEがきて、「これ以上交際し続けることは難しい」とあったのだ。
オトウサマ活動ではありがちな事柄だがマリエの反応があまりによかったので断りのLINEは男とって晴天の霹靂った。
文面は非常に丁寧で「素敵な方ですからすぐに別の女性が見るかるでしょう」と結んでいた。継続できない理由は書いてなかったが、要するに男をオトウサマの一員にする利点がなかったということだろう。それは男の振る舞いなのか、お手当の問題なのか。本当の理由を聞いてみたい気もしたが、それを知ったら、立ち直れなくなりそうなので、それ以上は追求しなかった。
ここで男はハタと気がつくことが二つあった。一つはマリエのモザイクが結局顔から消えることがなかったのは彼女の男に対する心の距離を示していたということだ。そしてもう一つはアイコからのLINEは男を揶揄するためではなく、交際を継続するためだったということだ。
我ながら都合のよい解釈だが、一瞬消え掛かったアイコへの未練が再び復活した。後悔先に立たずかと男は独り言を言いながら、マコちゃん本店へと足を運び、赤ホッピーを煽るのだった。

④みんなが男のところへやってくる。
必ずしも見通しが明るいわけではなかったが、男の新事業は一定の成果を出しつつある。
しかし利益を大きくするには更なる事業拡大がマストだ。オサム君の意向もあり、新たな投資家とビジネスパートナーの模索が始まった。そしてその第一弾としてオサム君が男の地元に来て、今一番取引額が大きな会社に新規事業の提案をすることとなった。
その会社の社長と男は古くからの知り合いでもある。当初はオサム君だけがくる予定であったが、ミドリちゃんも足立さんも「ずっと行ってみたかった所です」ということでみんなでやってくることになった。
男が住む地元の空港は市内からはかなり離れている。友人でもある社長が迎えの車を出してくれて郊外にある本社工場に案内してくれた。男は直接自分の車でそこへ向かった。
本社工場に集合すると会議室に案内され、PRビデオを見た後、社長自ら現在の事業内容について説明する。昨年度養殖事業は壊滅的な打撃を受けたので社長からは恨みつらみが漏れた。
社長によれば要因が複数あるが特定できないのが一番の問題だという。確かに海水温は高く、雨が少なかっったからプランクトンの発生率も高かったが全滅するような数値ではなかった、と社長はいかにも困ったというような口調で言った。要因が特定されない以上対策には限界があり、今年度も予断を許さないらしい。説明をしている間、社長の顔は終始冴えなかった。社長の顔色を窺っていたオサム君は男の耳元で「パイセン、これはビジネスチャンスですよ」と囁く。こういう所がオサム君のオサム君たる所以だ。
その後会社の船で海に出て、養殖場見学となった。男は何度か経験があったが、オサム君たちは初めてだっから社長の説明を熱心に聞いていた。男は「今年は昨年を補うくらい収穫があるといいですね」とお愛想を言ったが、オサム君は別のことを考えているようだった。
暑い日だったが移動中は海風が頬に当たり、気持ちがいいし、海の匂いが鼻腔をくすぐる。
そのまま世界遺産でもある島に移動して高級旅館に案内された。その旅館は現在ランチ営業はやってないが、そこは社長の顔で個室に案内され、名物の穴子に舌鼓をうった。さすがのオサム君もここでは「やっぱり地元産は違いますね」と大絶賛。男はここの穴子は地元産ではないことを知っていたが、もちろん黙っていた。
食後は島内を巡る。とにかくインバンドでどこも大混雑だ。お約束の神社見学の後、引き潮だったので、大鳥居までティーンエイジャーのように歓声を上げながらみんなで歩く。ちょっとした大人の修学旅行だった。当然のように大鳥居の下で写真を撮り、その後ミドリちゃんのリクエストにより二人でも撮ってもらった。
ミドリちゃんは腕を組み、「何だか恋人同士みたいですね」と呟いたが冗談だと分かっていても男はうまく返せない。普段ならオサム君がチャチャを入れるとろこだけど、修学旅行だからなのか許してくれた。
弥山にもロープウエーで登る予定だったが、大混雑で断念し、会社の船で再び本社工場へ引き返した。ここで解散かと思ったが、オサム君がビジネスの話を始め、現在進行中の新規事業についてプレゼンをした。資料は安達さんが作り、実際にプレゼンをしたのはミドリちゃんだったが、オサム君としては予定通りだったのだろう。そして何と仮契約まで結んだのだった。男一人ならとてもこうはいかなかった。これからもオサム君には頭が上がりそうにない。
⑤男が最近開拓した店で接待する
その後は市内に移動して男が予約した店に再集合した。社長夫妻も招待したから男を含め、6名だ。
その店「ぬくゐ」はごく近所の店だが、男が最近開拓し、お気に入りとなった。6席しかない小さな店で内容を考えると価格は信じられないほど安い。メニューは月替りでおまかせのみ。席数とメニューに制限があるからなのかネット上の評価は必ずしも高くはないが、知る人ぞ知るといったところか。
社長は商売柄顔を広く、商品を卸している関係で、市内のレストランに詳しいがぬくゐは行ったことがないという。中央に社長夫妻に座ってもらい、その左右に男性陣と女性陣で分れて座った。
ぬくゐの大将は40代後半で朴訥とした風貌がむしろ料理人としての風格を与えている。京都の有名店で15年働いた後、10年前にこの店を開いた。奥さんと二人で切り盛りし、店のスペースの関係もあって月替わりおまかせのみのスタイルに行きついたそうだ。その料理の特徴はとにかく丁寧だということ。値段は格安だから高級素材が出てくるわけではないが、地元の魚と野菜中心のメニューで丁寧に出汁をとった薄味な味わいが男の口にはあった。
その日はいつものように奇を衒ったところがない大将らしい品々で懐石の文法通りのメニューだった。高い食器を使っているわけではないが、料理ごとに見た目の美しさにも工夫が見られ、食欲をさらに誘った。みんなからも感嘆の声が上がる。特に男を(そしておそらく大将を)喜ばせたのはグルメで美味しいものをたくさん食べてきただろう社長が大絶賛したことだ。自分が料理しているわけでもないのに男は鼻高々だった。早速大将は社長と名刺交換をして今後の仕入れについて相談していた。
狭い店だから調理器具や食器が所狭しに並んでいるが、どれも丁寧に手入れされている。それを見たオサム君は「道具を見ただけで料理を食べる前から美味しいのは分かってました」と言った。普段はあまり笑顔を見せない大将に満面の笑みが広がる。
大満足で店をあとにして、2軒目はこれまた近所のワインバーにカシラを替える。全員一杯ずつ好みのワインを飲んで、まだ早い時間だったが、解散となった。アスリートでもあるオサム君は明日早朝城の廻りを走るつもりだし、ミドリちゃんもホテルに帰って今日の契約内容をまとめたいということだった。
ただ足立さんだけが、ちょっと物足りなそうな顔をしていた。普段お子さんのこともあって夜飲みに出歩くことは滅多にないからこんな時には痛飲したいとのこと。それならばと男は自分が時々行く流川のバーへ彼女だけをエスコートしたのだった。
⑥分かっちゃいるけどやめられない
考えてみれば足立さんと二人で飲みに行くのは初めてだった。男には足立さんはお子さんのこともあって夜誘いにくいというのもあった。
その店はビルの5階にあるカウンターとテーブル席一つの小さなバーだ。5階にあるから基本常連ばかりの店だ。男が当地にいる時はよく足を運ぶから常連といってもよいだろう。あらかじめ電話して席が空いているのを確認しておいた。
店に入るとほぼ満席で中央の2席だけが空いていた。二人で腰掛け、注文はお任せしますということだったので(足立さんは何でも飲める)男は常連ぶって「いつものヤツを二つ」と注文した。そしていつものヤツがいつもの様に大きめのブランデーグラス注がれて目の前に置かれた。キューベブペップ入り、マスター自慢のジントニックだ。早速乾杯し、二人ともまずはゴクリと。
「少しピリピリしますね。とっても美味しい。この粒は何?」と足立さんが尋ねる。
いつものようにマスターが答える前に男が口を出す。
「僕はいつも山椒の実だと説明するんだけど。マスターなんだっけ?」
「キューブペップです」とこれまたいつものにマスターが答える。
ここにやってくると必ず繰り返されるお約束が終わったあと、男と足立さんの会話が始まった。普段プライベートな話はしないから、彼女自身が話す内容はほぼ知らないことばかりだった。
一番驚いたのは足立さんが日本生まれでないということだ。韓国籍というのは知っていたが、全く癖のない日本語を話すので、日本生まれの在日だと思い込んでいた。
実際はソウル郊外で生まれ、日本には13年前初めてやって来た。日系アメリカ人(両親は日本人)の旦那さんと共に来日したのだった。「足立」は旦那さんのファミリーネームで通称だということだ。
まずは旦那さんとの出会いから結婚までのストーリーを足立さんは問わず語りに男へ語った。
・出会ったのはアメリカ。学部は違ったが同じ大学に通っていた。
・その後数人でルームシェアーをしたが其時はまだ特別な関係ではなかった。
・大学を卒業したあと、足立さんはシンガポールで就職。数年の時を経て、彼がシンガポールで就職(彼は研究職)し、足立さんに告白。今度は二人だけで同棲。
・13年前、彼が日本の大学に転職することになり、今度は足立さんが彼を追いかける番になった。前後して妊娠したので日本で入籍。
こうやって文字にすると色気がないが、足立さんの口調からは旦那さんに対する深い愛情と互いの強い絆が感じられた。特に印象的なエピソードは旦那さんが結婚の承諾を得るため、単身韓国へ乗り込んだことだ。そして足立さんから習った流暢とは言い難い韓国語を使って自分の気持ちを義理の父になる人に伝えた。反日感情の強い人だったが、その情熱に打たれて二人の結婚を許したのだった。
この話を聞いて男は「義」という言葉を思い浮かべる。世の中にこういう人がいるのは知っているが、改めて自分と比較せざるを得ない。どう甘く見積もっても「義」ほど男から遠い言葉はないだろう。
少し残念な気もするが、生きることをやめるわけにはいかないからなるべき自分らしく残りの人生を歩んで行こう。でも自分らしさってなんだ?こんな事を自問自答するのは男が酔って呂律が回らなくなる直前であることを意味する。
実際、よく飲んだ。ジントニックの後はこの季節しか飲めない特別なミントを使ったモヒート。飲み干した後はクラッシュ氷が残っているグラスにモエを注ぐ。これが男のいつものやり方だが酩酊度はグッと上がる。よせばいいのに仕上げはシェリー酒で。分ちゃいるけどやめられなのは植木等だけではないがこの店はシェリー酒の品揃いでは県内一だから🎵アッ、ホレ、スイスイ、スーダララッタと口ずさみざるを得ない。
男が呂律の回らない調子で音程を外しながら口ずさんでも足立さんは平然としいた。そして明日の予定もあるし、日付は変わる前に解散になった。足立さんとの距離がグッと縮まったことが今夜の成果で、男は上機嫌でスーダラ節を口ずさみながら、タクシーを拾い、自宅へと帰った。
⑦日本がアメリカのポチであることがよくわかる場所
翌日はお約束の場所を巡る。男はみんなをホテルでピックアップしてまずはドームから。当地も御多分に洩れずインバンドで溢れているが、他の地域に比べるとアジア系もよりもヨーロッパ系が多い。
周辺慰霊碑も巡り、案内板に目を通す。足立さんもミドリちゃんも丁寧に読むので思ったより時間がかかる。
時より男に質問するが、答えられない質問もあった。
その後は記念館に案内し、2時間ほど滞在した後、周辺の被曝建物をいくつか歩いた。何度か当地に来ているオサム君を含め、みんな大人?だからそれらを熱心に見て回る。
暑い日で、しんどいはずだけど、誰も文句を言わない。むしろ男の方が根を上げてひとりカフェで休憩したりしていた。本音を言えば記念館はあんまり好きな場所ではない。お昼は男が時々ランチ利用する蕎麦屋で蕎麦を啜り、もう一度カフェに立ち寄って仕上げの場所に案内した。
その施設は市内の小高い丘、人目にはつきにくい場所にある。正門の前でタクシーを降りる。門は固く閉ざされ、右側に「公益財団法人放射線影響研究所」というオドロオドロシイ名称の看板がかかっている。公開施設ではないのに男がここへ案内したのには理由がある。
この研究所はABCC(原爆傷害調査委員会)という名称で1947年当時のアメリカ大統領であるトルーマン大統領が直接命令してこの地に設立された。名称が示す通り、治療が目的ではなく、あくまで調査をその主眼とした。設立直後、遺体は基本ここに集められ、場合によっては解剖された。傷害者は被害状況と影響を調査するため撮影の対象となり、男もいくつかのフィルムを見たことがある。前述したように治療が目的ではないから、ケロイド状の醜い姿まま、場合によっては苦しむ姿で撮影される場合もあった。
男が憤りを覚えるのはこの施設が1975年までアメリカの施設としてこの地にあったということだ。1951年日本は国際世界に復帰し、独立を果たしているにも関わらずだ。1975年以降は日本の組織となったが、再出発にあたってはアメリカ政府も資金を提供し、その運営費用の一部は今でもアメリカ政府が負担している。
現行研究所の主たる目的は放射線の長期に渡る影響の研究だ。
その為、被曝2世、3世は2年に1度無料の健康診断を受けられる。ただし、検査結果は共有され、つまりアメリカにも渡される。
男の知り合いによれば研究内容はアメリカ側の意向が強く反映されているそうだ。その知り合いはここほど日本がアメリカのポチであることがはっきりわかる場所はないと断言する。彼から強い影響を受けている男も全くの同感だ。
男はやや興奮して演説をぶった。やっぱりみんな大人だから黙って耳を傾けてくれた。それだけでも男は満足でここに案内した甲斐があったと思ったのだった。
⑦犬も歩けばお好み焼き屋に当たる
当地の名物はお好み焼き。大阪のそれとは作り方が異なる。本音をいえば男はそれほど美味しいとは思わないが県外から来た人たちは食べたがるので、その場合に案内する店が「山辰」だ。
大人の社会科見学?を終えた後は、その山辰へ。駅からはタクシーで20分ほどの場所にある。小さな店なので予約は必須。カウンター席はいつも常連客が占め、男は座ったことがない。この日も4人掛けのテーブル席に案内された。
山辰特製お好み焼きの特徴は仕上げに重しを乗せてお好み焼きを固く押しつぶすことにある。
昔はこの方式が主流だったらしいが、今は重しを使うのは男が知る限りこの店だけだ。素材の味が凝縮され、食べ応えのあるお好み焼きだ。みんなも喜んでくれて、オサム君は「みっちゃんより確実に美味しいですね」と大絶賛。
山辰夜はお好み焼き屋というより居酒屋だからおつまみメニューも充実している。男がここに来たらいつも注文するタマゴ一杯のポテトサラダその他を注文し、4人でビール&ハイボールをエンドレスに。あっという間に出来上がって(特に男が)解散の時間となった。
帰りはオサム君が大阪経由なので、新幹線に乗るため駅へ、二人はバスで飛行場へと移動した。店の前で記念撮影をし、お互いハグをして解散した。今までもチームワークは悪くなかったけれど、互いの距離がグッと縮まった出張となった。
⑧特別な日なら京橋で、密会なら四谷三丁目で
当地へ出張終了後、男が上京し、事務所に顔を出すと、ミドリちゃんも足立さんも今まで以上の笑顔で迎えてくれた。
仕事はさらにやりやすくなったからいい傾向ではあるが同時に彼女たちからのリクエストも多くなった。どう考えても男の事業は彼女たちの働きと能力に依存していたからできることなら応えていきたいし、それは男の利益にもつながる。しかし足立さんはともかくとしてミドリちゃんと関係を深めることについては正直迷いがあった。
いやそもそも歳の差は倍どころの騒ぎではなく、こうして真面目に考えること自体がどうかしているのかもしれない。ミドリちゃんは男と恋愛関係になることなど微塵も考えていない可能性は十分にある。いやその可能性の方が高いと考える方が身のためだ。その一方で最近は富に思わせぶりな言動が多くなり、男の迷いは深くなっていった。
まずはミドリちゃんのリクエストから。ミドリちゃんは男の顔を見るなり、「社長、来週私、誕生日なんです」と耳元で囁く。
この辺りは男が思っている以上にミドリちゃんは策士のような気がする。男の本音としては「それがどうした?」と即答したいところだが、ミドリちゃんによれば山辰で二人きりになった時、男は「君の誕生日にはセンチメンタルなフレンチに連れていこう」と約束したらしい。
外面がいいのは自覚があるから間違いなく約束したんだろうけれど、全く覚えがない。でもよりによってセンチメンタルなフレンチとは外面がよすぎる。男にとってそのレストランはシェイノを意味するからだ。
しかしながら「ねえ、シェイノは君が考えるほど気軽な店じゃないんだよ」という心の中の絶叫を男はおくびにも出さず、満面の作り笑いを浮かべ、「オッケー牧場」と天国の(もしかして地獄?)ガッツさんが苦笑するのほどにさらりと男は答えるのだった。
もちろん足立さんだって負けていない。男の顔を見るなり、「来週水曜日でどうですか?」と尋ねる。こちらの方は覚えていた。流川のバーで帰り際に「東京に帰ったらまた飲みに連れていってくださいよ」と言われたのだ。足立さんは曜日まで指定したから無碍に断るわけにはいかない。男はその場で電話して予約を取った。絆が深まると面倒が増えるのだ。
銀座口からタクシーに乗った。足立さんは珍しくスカートを履いていて化粧もいつもより濃いよう見える。男がそのことを指摘すると「だって〇〇君と不倫デートだからね」と悪戯っぽい顔でニヤリとする。足立さんは男のことを「君付け」で呼んでいた。最初は違和感があったはずだが、今では慣れてしまったし、フランクでさっぱりしているところが足立さんの美点の一つだと男は思っている。
タクシーは外堀通りを通り、虎ノ門から溜池交差点で右へ大きく向きを変える。道は空いているわけではなかったが、渋滞はなくスムーズに流れている。赤坂見附を抜けると右手にニューオオタニが見えてくる。タクシーはその先の迎賓館、大学と通過していく。
この辺りで足立さんは笑いながら自分の顔を両手で覆う仕草をした。「旦那に見つかっちゃう」。足立さんの旦那さんはこの大学で教鞭を取っているのだ。足立さんはユーモアに溢れた人でこれ位の軽口はお手のものだ。
四谷見附交差点を左折して新宿方面へ。ここで男はこの辺りを通過する時いつも披露する蘊蓄を口にした。
「通ってきた赤坂見附、そして四谷見附、見附ってどんなところか知ってる?」
「いや、知らないです。教えてくださいよ」
「江戸時代、城に通じる番所を備えた城門があったんだよ。城へ近づく人を見張るから見附なんだ」
「へえ、知らなかった。〇〇君と話すと勉強になることばかり。旦那に自慢しよ」
「旦那さんは知ってるかもね、学者だから。もうちょっと言うと、江戸幕府は城門の工事を各地の大名に分担させたんだよ。赤坂見附は福岡の黒田家、四谷は長州の毛利家が担当させられたんだ。諸藩に財政負担を強いているから幕府自体の財政は比較的健全だった。そりゃあ300年も続くはずだよ。そうそう、城門の石垣が四谷駅近くにまだ残ってるよ。」
「わあ、見てみたいです。ご飯食べたあと行ってみましょうよ。お店から遠くないでしょ?」
「う〜む、すごく近いとは言い難いな。徒歩15分くらいで腹ごなしにはいいけどね。早い時間で余裕があったら行ってみよう」
タクシーは杉大門通り入り口付近で停まった。
そこからは歩いて荒木町の「鈴なり」を目指す。大通りから一本路地に入る。道幅はぐっと狭くなり、年季の入った飲食店が軒を連ねる。外観は改装されている店が多いが、全体の雰囲気は昭和にタイムスリップしたようでかつての花街を彷彿させる。その一角に本日のお目当ての店、「鈴なり」はある。
歩いている途中から場の雰囲気に絆されたのか足立さんは男と腕を組んだ。ミドリちゃんとなら激しく動揺するところだが、男は平静さを保てたたのが、ミドリちゃんと足立さんとの違いだろうか。二人とも大切な部下であることに変わりはないのだが。
ほぼ時間通りに店の前に到着し、狭い入り口を潜ると女将が笑顔で迎えてくれた。間口が狭く、奥に入るとぐっと空間が広がるのは花街だった頃の構造なのかもれない。半個室のテーブル席もあるが、この店は大将の包丁さばきを見ることができ、会話を楽しむことができる調理場前のカウンターに限ると男は思う。
女将に促されてカウンターの中央席に座る。大将と型通りの挨拶をして飲み物を注文した。他の店では頼むことはないが、ここでは梅ハイから始めることにしている。梅干しが自家製で抜群に美味しいからだ。男のススメに従って足立さんも同じものを頼み乾杯。そしていつものように先付けからお任せがスタートした。
鈴なりは高級割烹にカテゴライズできるが、超高額店ではない。ジャンルが同じならば味と値段は比例すると男は考えているからここより美味しいお店は少なくないだろう。しかし値段とのバランスやホスタピリティの高さを考えると男にとって鈴なりは特別な店だ。
特に後者はなかなかお目にかかれない高いレベルにあると思う。というのも40席ほどの規模なのに家族だけで賄っているからだろう。家族ならではの阿吽の呼吸でチームワークが抜群なのだ。接客は奥さんと長女、調理場は長男がセカンド、次男が裏方で下ごしらえを担当している。大将を除き饒舌ではないがテキパキと接客する様子は外から見ていても気持ちがいい。
大将は40代でこれから油の乗っていく年齢だろう。勉強熱心だし、これから楽しみな料理人でもある。基本懐石の文法に則った料理だが、新しい工夫が随所に見られる。いつも感心するのはお造りのおいしさ。
単純な料理だけに魚に対する目利きと処理の仕方で技量の差が大きく出ると男は考える。いつも2種類の醤油、塩、大将特製の納豆醤油が用意され、お刺身の種類により味の変化を味わえる。刺身皿の横には海苔とお猪口に入った小さなご飯が置かれ、お刺身と共に手巻きにしてお好みのつけダレでいただくとそこには口福が待っている。最後のデザートまで完食し、大将の見送りを受けて今日も大満足で店を後にした。
当然のように足立さんは飲み足りないし、男の方ももう少し話がしたかった。それならばすぐ隣にある「Bar 橙」一択だろう。ここは16時オープンだからいつもは鈴なりの前に行くことが多かった。満席かもしれないと思ったが、扉を開けるとちょうど端の席が2席空いていた。席に着くとおしぼりを手渡され男はハイボールを、足立さんは男が勧めたフルーツ(今日は桃)のカクテルを頼んだ。
「ここのフルーツカクテルは季節の果物を丸ごと使っているから美味しんだよ。普段カクテルはあんまり飲まないかもしれないけど」
「フルーツは大好きだから楽しみ」
足立さんはミドリちゃんとは違った意味で話しやすい女性だ。
頭の回転が早く話題も豊富だから話が尽きることがなかった。韓国一の名門女子大の出身でもある。難関のスカラシップを取ってアメリカに留学・卒業した後の職歴も華麗で、足立さんがエリートコースを歩んできたのは間違いない。と同時に二人の子供たちにとってはよき母であるようだ。
下のお子さん(女の子)は障害を持っているから制約はあるはずだが、「二人の子供は一番の宝物」と言って憚らない。男はこう断言できるほど自分の娘に対する愛情は強くない。足立さんと比べると人間としての格の違いを感じざるを得ないけれど、こうやって気兼ねなく飲みながら冗談を交えて話をするのは男にとって貴重な時間だった。
結局一杯だけのつもりがベロベロコースになり、終電直前に慌てて解散したので、四谷駅の城壁跡は見に行けなかった。帰り際にハグ。足立さんは「結婚してから旦那と息子を除いて初めて他の男性とハグをした」と言って笑う。その笑顔が何ともチャーミングでまた来月も別の店にご飯を食べに行こうと男は約束したのだった。
その2日後今度はミドリちゃんのバースディを祝う番だ。今日のお目当てシェイノへはタクシーで向かった。高級フレンチだから男は出来る限りの正装をする。一番高いスーツを着て、靴はロブ、左手には父の形見であるパテックをはめていた。気合いは十分だ。ミドリちゃんは薄緑のワンピースに薄手の白いジャケットを羽織っている。残念ながらいつも以上に化粧は濃かった。
車が明治京橋ビルの前で停まる。先にミドリちゃんを降ろし、支払いを済ませた男は一階の入り口へ。扉が一際重厚でステンドグラスをあしらってある。扉を開けると旧知の総支配人が「〇〇様、お待ちしておりました。いつもありがとうございます」と言って二人を席に案内する。いつもは物怖じしないミドリちゃんが緊張しているのは何とも微笑ましい。
案内された席は滝天井の下にゆったりとテーブルを配したダイニングだった。男がこのフレンチに来たのは50年近く前だが、店名も場所もかわったし、何度か改装を経ているから外観、内装からセピア色のメモリーが刺激されることはない。
ミドリちゃんを先に座らせ男も向かいの席に座った。テープルの上には食器とグラス、そして今日のメニュー表が立て掛けられている。ミドリちゃんの方にはメニューの横にカードも置いてある。それを開いて目を通したミドリちゃんの顔に笑顔が広がる。ミドリちゃんから手渡されて男も確認するとそれはバースデーカードだった。日本でも有数の老舗フレンチだからこの辺りの対応には抜かりがない。
「素敵な店ですね。◯◯◯さんはよくいらっしゃるんですか」とミドリちゃん。いつもは男を社長と呼ぶのだけれど、タクシーに乗る前に「今日は社長と呼ぶのは禁止ね」と宣言しておいたのだ。
「さっき伊東さんは『いつも』と言ったけど、来るのは年単位だがら常連とは言い難いな。ただ亡くなった先代のオーナーシェフと父親は個人的な知り合いだったんだ。この店の前身がオープンした時、僕は中学生だったけど、家族で招待されたんだよ。それ以来特別な日、ここに来るのがある時期までの家族の恒例だった。古いお客を大事にする店だから父親のおかげで僕の名前はおそらくリストアップされているんだと思う」
「わあ、すごい。そんな時からこんな店に通っていたら社長、あっ違った〇〇◯さんがグルメになるのは当然ですね。ハイソな家族だったんでしょう?」
ミドリちゃんの言葉を受けて男は自問自答する。男が恵まれた家庭環境に育ったのは間違いない。両親は確かにハイソな人たちで、特に母親は洗練された女性だったし、息子として自慢の母親だった。ただ男の振る舞いは両親ほど洗練されているとは言い難い。
「俺は血の繋がった子供ではないか」と考えていた時期もあったが、還暦を過ぎた男はあくまで自分に問題があったと思っている。
再び、総支配人が席にやってきてコースの説明のあと、「お飲み物は如何いたしましょう」と尋ねられた。分厚いワインリストもあるが、見ても何が何だか分からないので男は自分の好みを伝えてソムリエの選択に任せている。
「今日は彼女の誕生日だからまず泡で乾杯したんだけど。何かおすすめは?」
「◯◯◯様は辛口がお好みですから、お連れ様がお嫌いでなければ辛口のシャンパンをご用意できます。お誕生日のお祝いをお店からもさせてください。」
ミドリちゃんは歓声をあげ、男の方は内心でほくそ笑む。だってこれまでの経験上、店側のサービスを予想して男は注文したからだ。
総支配人はシャンパンを目の前で抜栓し、グラスに注ぐ。瓶内で2次発酵し、ボトリングしてから24か月が経過していると説明を受けた。グラスでの提供かと思っていたがワインクーラーを用意して泡が数杯分入ったボトルを慎重に立て掛けた。二人ともノンベイだから何より嬉しいサービスだ。そして早速、乾杯。グラスを挙げ、男はお祝いの言葉をミドリちゃんに掛ける。
このタイミングが一番だと思って男は封筒に入った誕生日プレゼントをミドリちゃんに手渡した。あまり期待されてもいけないので、「中身は図書カードね」と付け加える。でもミドリちゃんは誕生日プレゼントを貰えるとは思ってもなかったようで、恐縮しながらもすごく喜んでくれて男をほっとさせた。
というのも男はそもそもこの関係で誕生日プレゼントを贈ってもよいのか、贈るなら何にするか、そしてその金額は?と色々頭を悩ませてきたからだ。結局無難な図書カードにした。ボールペンと迷ったが、消えモノにして、金額は3万。我ながら色気のないプレゼントだ。ミドリちゃんは大喜びしてくれたが宇宙倶楽部女子なら暴動が起こっているだろう。
乾杯したタイミングでオードブルが運ばれてきた。黒トリュフの温度玉子で大皿の中央に小さなカップが置かれている。黒いピューレが玉子を覆っていてまだ土のついた茸を思わせる深く落ち着いた香りが食欲を誘う。スプーンで掬うと、とろりとした黄金色の黄身が現れ、黒いピューレとゆっくりと混ざり合う。一口目は温かい玉子の滑らかな食感。そしてトリュフの濃厚な香りが後から追いかけてくる。
二人とも美味しいという言葉しか見つからない。あまりの美味しさにお酒も進み、早くもシャンパンは空になっていた。2品目のオードブルの前におすすめに従ってアルザス白の辛口をお願いした。
2皿目は蟹、エビの中からチョイスする。ミドリちゃんがズワイガニ、男はオマール海老。少しズワイガニを試食させてもらったが、こちらはズワイガニに軍配が上がる。ほぐしたカニの身とアボガドソースの相性は抜群だ。もちろんアルザスとの相性も。
その後は、フォアグラ、魚、肉と続く。予めポーションは小さくとリクエストしてあったので、ご馳走攻めなのに難なく胃袋に収まる。美味しい以外の言葉が見つからず、二人ともだんだん無口になっていったが。
最後はデザート。意匠を凝らした美しい誕生日プレートはアイスクリーム。そしてケーキワゴン。男はプディングを少しだけにしたが、ミドリちゃんは「いろんな種類を食べたい」と言いながらチーズケーキ、マスカットとブルーベリーのタルト、チョコレートのテリーヌをお皿に取り分けてもらっていた。どうもミドリちゃんは牛並みに胃袋が4つあるらしい。その食欲に驚くと同時にその食べっぷりは男を喜ばせた。これでこそご馳走のし甲斐があるというものだ。
男の若い時に比べると、フレンチはより身近になった。フレンチといえば濃厚なソースがその代名詞だが、昨今は健康ブームを反映してか塩分とバター控えめで気軽に食べれるフレンチがトレンドのようだ。魚がメインの高級フレンチレストランも少なくない。
しかしシェイノはそのトレンドとは対極にある。濃厚なソースをベースにした我々世代以上がイメージするクラシカルなフレンチを今でも提供している。40年この味を守っているのは考えてみればすごいことだ。そしてハレの日に食べるならこれくらい濃厚な方がいいと男は思った。創業以来変わらないメニューがあるのも男のようなオールドファンの心を鷲掴みにする。
下世話な話だが、本日のお会計は15を超えた(誕生日プレゼントを含む。苦笑)。食事代が一人4を超えると心臓の鼓動が速くなる男だが、今日は特別な日だから野暮は言うまい。それにセンチメンタルなレストランでの食事は実際の味以上に思い出というスパイスも効いて特別な時間となった。会計を済ませた後、スタッフから丁重な挨拶を受け、二人は大満足で店を後にしたのだった。
⑧仕上げは銀座で
ミドリちゃんのリクエストで2軒目は銀座のシガーバーへ行くことになった。腹ごなしも兼ねて歩いていこうと提案すると満面の笑みでうなづいてくれる。もうこうして歩くこと時は腕を組むことが二人の間ではデフォルトになっている。
話題には事欠かなかった。まず今日の料理についてお互いの感想を言い合った。今日のベストはミドリちゃんが仔羊のマリア・カラス風、男は舌平目。話しているうちに二人とも唾液が蘇ってくる。
普段は男がフレンチを口にすることはほぼないし、フレンチでは重要な食材であるハトやフォアグラが美味しいとは思えないかった。しかしながらハトはともかくとして、シェイノのフォアグラならばペロリと平らげることができる。それは亡き姉の大好物だったというのもあるかもしれない。
ひとしきり料理について語り合った後は男のセンチメンタルレストランについての話題になった。多くが亡き母に連れらたお店だ。男は日本全国にある名店の名を上げ、その思い出を饒舌に語ったのでミドリちゃんは驚くというより呆れたようだった。「美味しいものをたくさん食べさせてもらった割にバカ舌なんだけどね」と付け加えるのは忘れなかったが。
男の次はミドリちゃんに語ってもらおう。
ミドリちゃんの一族は三代前、辛亥革命の時一族でフランスに亡命した。一族の家長は清朝政府の高級官吏でフランス留学の経験があったのでフランスを選択したそうだ。
紆余曲折があって食の街リヨンで中華レストランを開業し、今に至っている。お母さんの弟が中心となって中華だけでなく広く飲食店を経営し、地元の名士でもある。ミドリちゃん自身はリヨンで暮らしたことはないが、学生の時は休みになると祖父母に会うためリヨンに行ったそうだ。
歴史ある街並みとご飯が美味しいので大好きな場所だという。ただし思い出の味はフレンチではなく中華料理だ。おばあちゃんもそしてその味を引き継いだお母さんもグッとクッカーだったからその味が一番舌に馴染むらしい。と同時に「でも今日のフレンチは今までで一番美味しい料理でした」と付け加えた。
ミドリちゃんとなら、1、2キロの距離ならなんでもない。日中は猛暑でこの時間になっても歩けば汗は吹き出したが全く苦痛ではなかった。京橋のオフィス街を抜け、銀座一丁目に入るにつれてショーウィンドウの明かりが目立つようになった。店舗はとうに閉まっていたが、ガラスの向こうには照明を絞った空間に高級バックや宝飾品が置かれている。相変わらず人通りは多く、まもなく銀座のタクシー規制が始まる時間だ。センチメンタルなレストランの一つである資生堂パーラーを過ぎ、花椿通りを経由して並木通りを左へ曲がるとお目当てのシガーバーが見えた。
⑨賽は投げられた、ルビコン川を渡るのときだ
歩いたので喉が渇いたから男は銘柄は指定せずハイボール。ミドリちゃんは甘めの赤。同時にアップマンのミドルクラスをV字カットで2本オーダーした。重い食事の後の葉巻は男にとって格別だ。紙タバコを吸うことはもう2度とないが、同じタバコでも葉巻は別物だというのが男の意見だ。
タバコの葉は本来火がつきにくいもので、紙タバコの場合燃えやすくするため巻紙にクエン酸カリウムが混ぜ込んだあるので、これがタバコ臭さにつながっている(というのが男の偏見)。つまりタバコの匂いは巻紙が燃える匂いでもある。その点葉巻は全てが自然物で紙タバコのような臭さはなく、むしろ香りを楽しむものだと思っている。まあ、健康に良くない点は変わりはないだろうが(多分)。
ハイボールのあと、男は締めに甘いシェリー酒を、ミドリちゃんはグラッパ。チョイスが渋すぎる。葉巻もほぼ根元まで吸い終わったので、店を出る時間だが、男は今日朝から考えていたセリフを口にした。
「今日は近くのホテルに部屋を取っているんだよ。このあと来ない?」
ミドリちゃんは少し驚いたようだったけれど、意を決したように次のように呟いた。
「〇〇◯さん、それって……ってことですよね?」
男はその問いには答えず立ち上がった。賽は投げられたのだ、ルビコン川を渡るしかない。意を決した男は店を出て、ミドリちゃんと共に予約した店に向かって歩き出したのだった。
今更だけど、今日はまだキスをしていないことに気がつき、部屋に入ったらまずキスからだなと妄想し、少しだけ足を早めた。







