親から虐待されたパパ活女子との付き合い方

以前交際していたパパ活女子と食事をしていたとき、どこからかコバエが飛んできたことがあった。
それを見た瞬間、彼女の目と手が固まった。
「あ、虫嫌いだったっけ?」
「いえ・・」
彼女が幼い頃、親が数日間から時には数週間帰ってこないことがあった。
その間食事はどうしていたかというと、近所のお総菜屋さんで残り物のお弁当をもらって食べていたのだそうだ。
毎日は貰えない。親はいつ帰って来るか分からない。だからテーブルに置いておいて少しずつ食べるのだが、日が経つにつれてコバエが寄って来る。
コバエを見ると、時々その記憶がフラッシュバックして固まってしまう。
別のある子は、中学1年のときに初めてパパ活(大人)をした。
お手当ての5千円を手にして、「これで1か月は食いつなげる!」と大喜びしたそうだ。
母親は当時離婚したばかりで精神的に不安定で収入もなく、学校の給食が唯一といってよい栄養源で、残り物があるとクラスメイト達とジャンケンで取り合うのだが、他の生徒たちが遊び感覚なのに比べて、自分だけは本当に真剣だったとのこと。
物心ついた頃から、毎日父親にまるでサンドバックのように殴られ蹴られていた子もいた。小学4年生のときに殴られ蹴られて横に転がった状態でそのまま犯されて処女を失った。
その父親の性暴力はその後も止まらず、避妊もしてくれないので、離れて住んでいるおばあちゃんから年に一回貰えるお年玉で、彼女は避妊薬をネットで購入した。

こういった話はまだまだいくらでもあるのだが、これから書くことは、こういった子たちと交際する際の心構えである。
「そりゃあそういう子もいるかもしれない。しかし僕が付き合っている娘はそうじゃない。いたって普通の子だよ」と考える人もいるだろう。
そもそも、そんな彼女たちの生い立ちに興味など全くない、彼女たちの過去など知りたくもないという男性のほうが世の中には多いかもしれない。
私はパパ活女子たちの背景を聞き出して掘り下げていくのが好きなのだが、そんな私の体感で言うと、だいたい10人に1人くらいの割合でパパ活女子というのは親からの虐待を受けている。
この比率はたぶん一般の若い女性たちよりも高い。パパ活というのはお金に困って始めることが多いからだ。
そして虐待を受けていた子の多くはそのことをパパ相手には語らない。だから「僕が付き合っている娘はそうじゃない、いたって普通の子だよ」と考えていても、実はそういった過去を隠しているのかもしれない。
「そんなことを知って何の役に立つんだ?不幸話を聞かされたって不愉快な気分になるだけだ」と怒る人のために、今回のコラム記事の意味を説明しよう。
私が以前交際していたある子の話なのだが、彼女はホテルで私がシャワーを浴びている間に、クローゼットに吊るしたズボンのポケットの財布から、毎回一万円札を一枚こっそり抜き取っていた。
私は財布にいつも10~30万入れていて数えもしないタイプの人間なのだが、ある日ホテルの会計をする際に、何か違和感があった。
次にその子に会ったときにも同じ感じだった。それで次に会ったときには事前に一万円札の枚数を数えておいた。そうしたら一枚減っていることに気が付いたという訳だ。

どうしたものかと悩んだが、結局私のとった行動は、その子には何も言わず、シャワー浴びている間、ズボンと財布をクローゼットではなく、擦りガラスを通して確認できる脱衣かごに移すことだった。
それ以来彼女は財布から一万円を抜くことを止めた。交際はその後も数年間何事もなかったように続いた。お金を抜く以外はとても気に入っていたからだ。
その子もまた親から虐待を受けていた。実家から遠く離れた大学を選んでの一人暮らしであったが、それは親から逃げるためでもあった。
たぶん彼女は子供の頃からそうやってこっそりお金を盗むことで、これまで生き延びてきたのではないか。
親から虐待を受けた子の実態を知らないと、彼女がなぜ財布から毎回一万円札を抜き取るのか、そこが理解出来ないと思う。
理解出来ないと、ただ怒りが湧いてくるだけだ。しかし理解できれば少しは寛容な気持ちも湧いてくる。もちろん窃盗なので社会的に許されないことではあるのだが。
今回の話にはそういう効用があるのだと考えて欲しい。
決して愉快な話では無いが、知っておくことで人間としての幅は広がるはずだ。
話を元に戻そう。親から虐待を受けていたパパ活女子はパパにそのことを語ろうとしない。自分への評価を下げることになるからだ。
そんな中で、自分から語り始める局面が二つある。
一つは、パパに心を許した場合であり、もう一つは「病み営」である。
【病み営(やみえいぎょう)】
ホストやキャバ嬢が自身の悩み、つらい過去、不安などの弱い部分をあえて客に見せ、同情や母性本能を刺激して指名や売上を得る接客スタイル。メンヘラキャストがよく使う手法ともされ、客の「支えてあげたい」「特別な存在になりたい」という心理を利用する営業手法。
親から虐待を受けていたパパ活女子は、最初はそのことを他人に言わない。蔑まれるのを怖れるからだ。
ところが、優しそうなパパに出会って気持ちが緩んでしまうと、話し始めることがある。誰かに打ち明けて楽になりたいという気持ちからなのだろう。
そしてパパが自分を見下さず、同情してくれることを知ると、安心するとともに「これ(虐待話)は自分が生きて行くためのツールとして使えそうだ」と気付く。
病み営というのは必ずしもパパ活で培われるものでもない。児童相談所に保護されたときの相談員からの同情をきっかけに「病み営」を始める子供もいる。
本人自身が「病み営」の自覚なく行っていることも多い。
ある子は、私との行為のあとのピロートークで、覚えている一番古い記憶について語りながら泣き始めた。それは実の父親が刃物で自分を殺そうと襲い掛かって来る光景なのだそうだ。今思い返しても、あのときの彼女の涙が本心からだったのか、病み営だったのか、まったくもって判然としない。
作り話ではなく(実際にそれは事件となっていた)、母親と必死で逃げて、しばらく母子寮で身を潜めるように暮らしていた。
それを聞いた私は「自分が人生で経験したことの無いような壮絶な体験をこの子はしてきている。自分は何かこの子の助けになれないだろうか?」心からそう思った。
病み営は父性に働きかける。保護欲を掻き立てられる。
パパ活という買春行為に後ろめたさを感じている男性であればなおのことだ。真っ黒な盤面をオセロの如く一手で真っ白にひっくり返せるかもしれない。
その子を救うことで自分の穢れた魂をも浄化出来る、その魅力に嵌ってしまう。
善行を積んで感謝もされて、なおかつ若い女と性行為も出来る。この甘い構造こそがパパ活における病み営であり、そのような男性たちの心の隙間に彼女らは実に上手に入り込むのだ。
女の子が病み営をしている自覚がはっきりしないのと同じくらい、男性の側でも自分のやっていることがただの買春なのかその子を助けているのか判然としなくなる。
はっきりしているのは、売買春と同時に、男女間で助ける側と助けられる側という役割による結びつきが成立し、そのことによって絆が強固になったと感じられることだ。
この感覚が非常な蜜の味であり、これはもはや「共依存」と言っても過言ではない。
しかしそのような蜜月は永続はしない。少なくとも私の場合はそうだった。
悲しい話ではあるのだが、これから書くことが今回の記事のキモである。
虐待を受けた女子は、このように甘い蜜のような「病み営」の使い手で、男をとても良い気分にさせてくれる。
しかし関係が深まるにつれ、あるいは長く続くにつれ、ある時期から虐待していた親への感情を、こちらにぶつけるようになってくる。
なぜ私を愛してくれなかったのか?なぜ嫌だと抵抗したのに犯し続けたのか?なぜ私を置き去りにして不安のどん底に堕としたのか?
親に言われたのであろう言葉をそのままこちらにぶつけてくることもある。
なぜ私の言うことを聞かないのか?なぜ一度同意した言葉を翻すのか?嘘つき。死ねばいいのに。

こういった心の闇を出してくるということは、それ自体がSOSのサインであり、無意識に救いを求めているということは判る。発した言葉を額面通りに受け取って怒り出すほど私の頭は単純ではない。
ここで、本当に私が善の人であるならば、この子を助けてあげたいという気持ちが強いのであれば、彼女の負の側面をも受けとめるべきなのだろう。そういう感情のぶつかり合いのような人間関係を経て初めて虐待された子というのは癒されていくような気がする。
罵詈雑言をぶつけてくること自体が、彼女たちが必死でそこから抜け出そうとしているということだ。
しかし、そう気付いてはいても、私はそのような局面に接すると、そこから逃げ出すことしか考えられなかった。
私の目的は所詮性欲の処理であり、また、人間としての心の容量、度量が小さいからなのかもしれない。人の心の分析は好きなのだが感情のぶつかり合いは苦手という性格も関係していそうだ。
もしも同じような状況に遭遇したパパが、彼女たちの背負っているあの重荷を一緒に引き受けてやろうと考えて実行したならば、どうなるだろうか?
彼女たちの魂は救われて、それこそ生涯パパを恩人と崇めるかもしれない。あるいは、船乗りを海の底に引きずり込む人魚のように、パパを食い殺すのかもしれない。
私には判らない。自分で経験していないからだ。
以上、親から虐待を受けた子との付き合い方について、現時点での私の経験をまとめてみました。
何人かと交際して、一定の深さまで踏み込んではみたのだが、甘い蜜月を過ごすことは出来たものの、真に彼女たちの助けになったとは言い難い。
パパ活の免罪符を手にいれることは出来なかった。
それでも懲りずに今も一人、親から虐待を受けて育った子と交際中ではあるのだが、その子とは今のところほど良い距離感を保ってはいる。
上記のような私の体験を彼女にも話しているのだが、頷いてはくれるもののこの先どうなるのかは判らない。
彼女によれば、自分の場合はやさしい祖父がいて、その祖父にずいぶんと当たり散らしたそうだ。そして祖父はそれを受け止めてくれた。だからそこでガス抜きが出来ているのかもしれないとのこと。
彼女たちが救われるとすれば、そういった人間の存在によるのだろう。そしてそのような存在に私たちパパ活パパがなれるかというと、少なくとも私は自信が無い。なれる気がしない。
親から虐待された子の「病み営」に乗っかるのは蜜の味であり癖になるが、私のような平凡なパパでは真に彼女たちの助けにはなり得ない。だからほどほどにして適当な距離を置いて共依存的な関係にはならないように気を付けた交際にとどめた方が良さそうだ、そこから先に踏み出そうとするなら相当な覚悟が必要ですよ、そういうことをお伝えしたいというのが今回の記事の目的でした。








